• 川田龍吉男爵
  • 生い立ち

  • 川田龍吉は、江戸時代末期の安政3年に土佐で生まれました。維新前の川田家は、杓田村古新地(ふるしんち)で「年寄」(庄屋補佐)を勤める家柄で豊農であり、郷士という身分にありましたが、郷士は半農半武の生活で、龍吉は幼少期より母親の農業を手伝いながら土に親しみました。父親は岩崎弥太郎とともに三菱グループ創設に尽力し、日本銀行3代目総裁となった川田小一郎です。
  • イギリス留学

  • 慶応義塾大学を出た後、造船技術を学ぶために21歳でイギリスへ留学。グラスゴー大学で機械工学を学び、ロブニッソ造船所で舶用機関術を修めましたが、しばしばスコットランドの農村を訪れ、そこでじゃがいもに出会い「偉大な工業国は偉大な農業国」であることを知ります。留学は7年もの長きに及びました。
  • オーナーの写真
  • 男爵世襲・来道

  • 帰国後は三菱製鉄所三等機関士として入社。独身が続きましたが、33歳の時に同郷で高知小町と呼ばれ当時17歳だった楠瀬春猪と結婚。5男2女を設けます。その後、日本郵船機関監督助役を経て、横浜ドック社長に就任。この時、アメリカのロコモビル社製蒸気自動車を購入、日本人初のオーナードライバーとなりました。40歳の時に、父小一郎が男爵の爵位を授与されますが翌年に急死。長男の龍吉が男爵を継承します。日露戦争時の造船不況に喘いでいた函館ドックは、技術家であり造船事業経営の経験のある龍吉に会社再建の白羽の矢を立て社長に招聘。龍吉は北海道へ渡ります。強力な人脈を通じた株主探し、横浜から信頼の置ける技師や職工を採用、職制の改革等、積極的な策を実践して会社再建に成功。また、函館~当別の連絡船を運航する等、地域にも貢献しました。
  • 晩年

  • 函館ドックの経営が軌道に乗ったところで勇退した龍吉は、残された生涯を北海道農業近代化のためにささげることを決意し、当別におよそ1,200町歩の山林農地の払い下げを受けて農場を建設。主として、米国より最新式の農機具を多数輸入し、機械化による農業を試みました。90代になり妻も子もこの世を去り「北海道で生涯を終えたい」と思い、92歳の時にトラピスト修道院で洗礼を受け、3年後に生涯を終えました。
  • 洗礼
ロコモビルレプリカ
  • ロコモビルレプリカ
  • ロコモビルレプリカ

  • 男爵資料館前広場には、ガソリンエンジンで稼動する本物そっくりのロコモビルレプリカが展示されています。男爵姿に扮装したスタッフが運転するロコモビルレプリカにお子様を乗せ、広場を一周することのできる日もございます。詳しくは、男爵資料館までお問い合わせ下さい。